テレビシリーズ放送から12年、新たな物語が始まりました。今週は「交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1」特集です。放送を見ていたリアタイ勢・くむ&たま、途中で脱落していたリタイア勢・那瀬&蒔田、それぞれの感想はいかに? 評価は様々ありますが、いろんな意味でエウレカらしさ満載、ということに納得です。ぜひ熱いトークをお聞きください。
■リアタイ勢とリタイア勢、率直な感想は?
くむ「私は予告PV見たときから泣いていますからね。なぜか涙が溢れてくるんですよ。ああ、あの頃俺青春だったみたいな。まあ、青春じゃないんですよ、よくよく考えると。でもね、やっぱりなんか若かった頃を思い出すような予告だったんです。歌も良かったから、それも併せてすごく響いてくるものがあったので。映画の出来として色々思うことはあるとしても、そんなこと置いといて泣けてくるみたいな。これはもう、どうしようもない。何か刻まれているんだなと思いました」
たま「私は、昔エウレカを見たときに、傷口が開いたーっ!ていう感じがしたところを、上からグリグリっと踏まれている気分になりましたね。いい意味でですよ」
那瀬「リタイア勢という微妙な立ち位置である私たちでいいのかなという感じはするんですけど…逆にいうと、すごくリタイア勢向けの映画だったと私は思うんです。というのも正直、全然興味なかったんですよ、今回。それこそお勉強しに行かなければくらいに思っていたんですけど。でも、エウレカセブンて、こういう葛藤とか、若い、青臭い自分を思い出せるというか、そういうジュブナイル的な要素のある作品なんだなと。すごくいい要素を教えてもらった気がして。なんかこう、くそ腹立っていたレントンを、許せるようになった! ……違うかなあ」
蒔田「いい意味で不親切なやつ。想像の余地が広がったりとか、思考をさせてくれるような作品が最近ないな、というのが、ちょっと物足りないところだと思っていたんですけど。そういう意味では、これは結構、さっきのが何日前で、何時間前で、だからこうで、というのを、知らないからこそ追わないと置いていかれると思ったので。結構、がっつり見れるのは良かったですね」
■アクセル・サーストン不在の出発、そして…
くむ「声優の青野さんが亡くなられたので、もう出したくないというのはもちろんあったと、インタビューで語られていますけど。それもあって、ビームス夫妻の養子として育てられたということになっているんですよね、レントンが。でもそれって全然レントンの育ち方が違っているわけなので。てことはこれ、テレビとは違うんだよね」
たま「テレビシリーズのビームス夫妻とレントンは、やっぱり一瞬すれ違っただけの他人じゃないですか。どんなに素敵なものをもらったにしても。だからこそ、最後あああいう決断になるんだねというのは納得行くんですけど。今回結構、こっちの方が長いじゃないですか、付き合いとしては」
くむ「あと、テレビシリーズではダイアンという姉がいるんですけど、(パンフレットによると)今回はいなかったことになっているみたいですね」
たま「正直、今回はレントンが1人の方が、話としてはきれいかなとは思いますね」
くむ「ということはですよ、やはりテレビシリーズとは全く違う話を、新しいエウレカセブンとして描こうとしていると思っていいんじゃないかと思うんだよね」
たま「この先変わってくるんじゃないの?というのはすごく思うところですよね」
■“レントンの父親”感がすごい古谷徹=アドロック
たま「私はレントンにつながる、少年ぽさが残った声なのかなと思っていて。すごく親子感あっていいなと思ったんです。演技としてはすごく歳がいったようでもあるんですけど、声が結構若いというか、高いじゃないですか。なんとなく、レントンのことを想像したんですよ、見ていた時」
蒔田「ハートもそうですし、やっていることも若いじゃないですか。自分の間違いに途中で気づいて、それを止めようとなりふり構わず突っ込んで行って、さらに、最後理由はわからないですけど、エウレカを利用することになるから連れていけない、というあたりは。結構やってること若いなという気がしますね」
くむ「まあ後のことを考えれば、これぞレントンの父親だなっていう感じだよね」
たま「よく似てますよね、行動原理っていうか」
くむ「親父に似るとか言いますけど、息子はアドロックのことはほぼ覚えていないわけですよ。でも覚えてなくても、似ていくものなんだなというのを感じる演技であり声であったかなというね。アドロックはめっちゃいいキャスティングでしたね」
親切じゃない設計だとの評価もありますが、それもまたエウレカらしさと言えるのかもしれません。テレビシリーズとは全く違う表現でリブートしたハイエボリューション1、続編が今から待ち遠しいですね。
つづく!
(笠井美史乃)