こんにちは、ライターの笠井です。
8月7日は先週に引き続き『コンクリート・レボルティオ 〜超人幻想〜』特集<後編>。原作・脚本の會川昇さんをお迎えしてのインタビューです。奇しくもふたつの原爆忌にはさまれた日に配信となりました今回も、キャラクターの話に続き作品の時代性やスタッフの方々のお話、そして會川さんご自身が込めたメッセージと、聴きどころ満載になっています。
前後編に渡っても足りないほど語りどころの多いコンレボでしたが、全部消化できないと楽しめないわけではありません。時系列や組織の関係性でちょっと迷子になったとしても、各話ごとに登場する個性的な超人を好きになったり、エピソードが印象に残ったりするんですよね。各話のサブタイトルについてのこだわりも面白いお話でした。
「テーマに対する補助線として、サブタイトルだけは唯一言葉にしていい場だと思っているんです。そういう意味ではすごく重要だと思っていますし、できるだけ凝りたい、美しいものにしたいと思っています」(會川さん)
16話から20話まで(會川さん曰く「バラエティ編」)は、細かな時系列などをそれほど意識せず、特に独立したストーリーとして楽しめる部分でした。ゲストライターで参加された中島かずきさん(16話)、辻真先さん(17話)、虚淵玄さん(20話)脚本の回もここに含まれています。「その時代その時代を代表する作家であって、この企画書を読んで何をやりたいのかスパッとわかってくれる人」(會川さん)という理由から依頼されたとのこと。それぞれ、古くからこの地にいるヒト由来でない者の存在を印象付け、終盤への布石となる話でもありました。
個人的な話をさせて頂くと、私は結末へと向かう22話「巨神たちの時代」が最も強烈に刺さった回でした。自分の衝撃的な過去を思い出し、罪深さに打ちのめされる爾朗ですが、風郎太の「泣いている子供がいたら助ければいい。たとえそれが自分でも」という言葉に再び立ち上がります。
過去の自分を枷として自分自身を抑圧していないか。それを理由に自分にはできない、資格がないと言い訳していないか。全くシチュエーションは違いますが、自分が厳しい状況に直面した時を思い出させるシーンでした。そして、自分を救っていいと思った時、力をくれるのは自分の中にいる超人なのかも。じゃあ私にとっては……? と、現実からは遠いフィクションに自身を省みる部分がたくさんありました。
「いつも思っていますけど、アニメが絵で描いたものだからこそ、それが他人事じゃないと思ってほしい。もしかしたら安心して見ていられないかもしれないけど、この話は私のことを言っている気がする、そういう作品をつくるのが自分の仕事だと思っています」(會川さん)
毎話、様々な色合いの物語を積み重ねていったコンレボですが、最終回では潔いド直球で爾朗と里見の対決が描かれました。爾朗役・石川界人さんは「正義や戦うことに対してすごくセンシティブで、真面目に考えたいた」そうです。だからこそ「最終回で何を言わせるのかかなり悩んだし、正解を見つけられてよかった」という會川さん。「お前に会うのはこれが最初でもない、最後でもないと爾朗が言ったように、「里見的なものはいくらでもいる」と會川さんは語っています。
「一番怖いのが、自分は爾朗のつもりでいたのに、無意識に里見になっていること。そして里見になった瞬間に、里見のほうが正しいと考えてしまう。人を嗤って、若い努力を嗤って、そんなのはどうでもいいといったほうが楽に生きていけるから。人間は必ずそういうふうになっていくんです。僕自身も、簡単に里見の側になってしまうと分かった上で描いています」(會川さん)
最終回のサブタイトルは「君はまだ歌えるか」。全話を通してこれだけが人に投げかける言葉になっています。神化と昭和で編まれた重たいボール、凝った投げ方をしてくださいました。さて、受け止めた我々はどうしましょうか。
インタビューの最後にお話しいただいたメッセージは、ぜひ番組でお聞きいただきたいと思います。ファンの方々はもちろん、コンレボはちょっと難しいかも、と思った方にも、ふっと作品をつかむ手がかりが見えてくるかもしれません。
コンクリート・レボルティオ関連過去のインタビューも是非!
https://sokoani.com/archives/9575.html
(笠井美史乃)